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東京・中目黒の古着屋 Cider(サイダー)です!!

アメリカのヴィンテージ・ミリタリーアイテムを中心に幅広く取り揃えております!!是非ご来店下さい!!

1940'S U.S. ARMY M-38 MACKNAW COAT!!

今回紹介するアイテムは 1940年代の U.S. ARMY マッキノーコート 1st TYPE です!!急に肌寒く雨も降る今日の天候には最高のディテールと生地感です!!シッカリと見て下さいね

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第二次世界大戦開戦後にハワイのパールハーバーにある海軍基地が、日本海軍艦船の艦載機による空襲を受けて壊滅状態に陥ったほか、開戦後から 1942年下旬にかけて、カリフォルニア州からワシントン州までの本土西海岸一帯、そしてアラスカ州のアリューシャン列島が、日本海軍の潜水艦による砲撃や日本海軍艦船の艦載機による空襲を受けた他、西海岸沿岸での潜水艦による通商破壊戦も盛んに行われた。しかし、アジア太平洋地域やヨーロッパの主戦場から距離が離れていたこともあり、大戦の全期間を通じて本土の大都市が大きな被害を受けることはなかった

しかし、開戦後から終戦にかけて西海岸一帯及びハワイ、アラスカ州では日本軍の上陸を恐れ厳戒態勢におかれ、ロサンゼルスやサンフランシスコなどの都市圏では防空壕の設置や灯火規制、対空砲の設置が行われたほか、『ロサンゼルスの戦い』のような誤認攻撃が起き市民に死者が出るありさまであった、さらにハワイでは、日本軍による占領に伴い島内で流通している紙幣が日本に押収され、物資調達などの決済に使用されることを恐れ、島内で使用されているすべてのアメリカドル紙幣にスタンプが押された、また、この様な対日戦に対する恐怖と日本人に対する人種偏見をもとにした日系人の強制収容が行われた

なお、ドイツ軍やイタリア軍による本土への攻撃は行われなかったものの、東海岸やメキシコ湾沿岸での潜水艦による通商破壊戦や、メキシコ湾などから潜水艦で上陸した工作員による破壊工作がいくつか行われた

アメリカ国内の日用品と食糧
1941年 12月に対日戦、続いて対独伊戦が始まると、他国同様に肉類や砂糖、チーズなどの食料品や、靴やストーブなどの日用品、ガソリンやオイル、タイヤの配給制の導入が行われたほか、民需向け自動車の生産制限[33]も全土で行われた。ガソリンの配給制は終戦後間もなく解除されたものの、肉類や砂糖、タイヤの購入制限は終戦後しばらく経つまで継続された、なお、同盟国である当時世界最大の食肉産出国のアルゼンチンやブラジルからの食肉の輸入が出来たこともあり、1940年以降のイギリスやドイツ、1945年以降の日本のように食糧の生産と供給が極端に滞る状況に置かれることはなかったのです

アメリカ国内の国民の動員
アメリカの参戦をきっかけに多くの若者を中心とした男性は徴兵され、志願する者も少なくなく最終的に兵士の数は約 1200万人(当時のアメリカの人口 10.5%にあたる)になる、熟練工が戦場に動員されたことを受けて、軍需品の生産現場では人員不足になることが危惧されたため、多くの軍需工場で女性が工員として働くことになり、他の大国に比べ遅れていた女性の社会進出を後押しすることになったのです

アメリカ国内の人種差別
人種差別法の元で差別を受け続けていたアフリカ系アメリカ人をはじめとする有色人種も多くが戦場へ狩りだされたものの、アフリカ系アメリカ人兵士が戦線で戦う場合は『黒人部隊』としての参戦しかできなかった上に、海軍航空隊および海兵隊航空隊からアフリカ系アメリカ人は排除されていた、さらにアフリカ系アメリカ人が佐官以上の階級に任命されることは殆どなかった、また、ある陸軍の将官が『黒んぼを通常の軍務に就かせたとたんに、全体のレベルが大幅に低下する』と公言したように、アメリカ軍内には制度的差別だけでなく根拠のない差別的感情も蔓延していたものの、アフリカ系アメリカ人兵士は勇敢に戦い、アメリカの勝利に大きく貢献した

敵国であるドイツ人やイタリア人をルーツに持つ者は、その主義主張が反米的でない限りこれまでと同様の生活を続けたものの、同じ敵国である日本人をルーツに持つ日系アメリカ人は、有色人種であるがゆえに上記のように人種差別を元にした政府の方針を受けて強制収容されることとなった、しかし、強制収容されていた多くの日系アメリカ人の若者が志願して戦場へと向かい、アメリカの勝利に大きく貢献することとなりました

同じく人種差別を受けていたネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)の多くの若者も戦場へと向かい、同じくアメリカの勝利に大きく貢献したのです、しかし、これらの少数民族に対する差別が合法化された状況は終戦後も続き、そのような状況が終結するのは終戦から 20年近く経った 1964年になるのを待たねばならなかったのです

今回のアイテムは U.S. ARMY で 1930年代に支給された、『 MACKNAW COAT (マッキーノコート)』です!!

こちらは 3パターン存在するマッキノーコート中でも、1番初期のファーストタイプとなります、ショールカラーの襟にウールが貼られ、ボディーにグリーンのダック生地を使用するモノです

米陸軍で 1930年代から生産が開始されていて第二次世界大戦当時はすでに 25年間使用されていました、民間の防寒服から考案された野戦被服ですショールカラーの円形の襟を備えています、更に防寒性を高める為にベルトが装着されました

1930年代の被服改定では経済性と性能製から全ウール製のマッキノーコートの生産を提案されましたが、砲兵隊の強い要請により以前のモノより厚く・色の濃いキャンバス製で毛布生地をライナーに使用したマッキノーコートが製作されました

それが今回のマッキノーコートです、しかし初期型のマッキノーコートはダック生地とウール生地が戦時節減物資に指定された為に極少数生産で終了してしまいます、その後はカーキカラーのモノや裁断に変化を加えたモノなどが登場します、1942年の春にはマッキノーコートが 25万着製造、支給されましたがマッキノーコートのベルトが野戦装備のベルトと装着の際に支障が有る為廃止になりまたこれ以後ベルトを持たないそしてショールカラーも廃止されたオーバーコートタイプが登場します

U.S. ARMY M-38 MACKNAW COAT 1st TYPE

年代: 1940'S SIZE: 36(SMALL)

SOLD OUT!!

通信販売も出来ますよ!!

お問合せ先  used & vintage clothing Cider(サイダー)〒153-0051 東京都 目黒区 上目黒 1-2-9 ハイネス中目黒 104号 (03-5722-0156)
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  1. 2010/09/23(木) 13:44:04|
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